「日田の義民 穴井六郎右衛門」

    2015-12-16

    12月16日、寿考教室第6講で、歴史講座「日田の義民 -穴井六郎右衛門」をテーマに講演を行いました。

    講師は熊谷洋一郎さんで、受講生39名が聴講しました。

     

     

    江戸時代、穴井六郎右衛門は庄屋の長男として天瀬町馬原に生まれました。

    凶作に備え、水路の改修などを積極的に行い、農民たちの厚い人望を集めていました。

    そんな中、八代将軍 徳川吉宗が享保の改革を進め、日田代官として岡田俊惟が着任。

    岡田代官は、凶作の際に農民を救済するために取っておく「助合穀」を、商人に売って自らの利益にするなど、身勝手な政治を

    展開。

    凶作で食べるものに困り苦しんでいる農民を目の前にした六郎右衛門は、私財を投げ打って食料を配ったり、年貢のとりたてを

    緩めるよう代官に訴えましたが、聞き入れてもらえません。

    そこで、江戸幕府に赴き直訴、幕府は日田に検使を派遣し、幕府から岡田代官の悪政が認められました。

    10か月間幕府によって投獄されていた六郎右衛門は釈放され、日田に帰郷できましたが、幕府に直訴するというのはご法度、

    おきてを破ったということで処刑されました。

    世のため人のために、自分の命を投げ打った六郎右衛門の碑は亀山公園に、お墓は財津町の龍川寺にあります。

     

     

     

     

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