海もないのになぜ「港町」? 港は本当にあった? ~咸宜学~

    2022-03-07

    咸宜公民館で開催しているまちづくり事業「ふるさと咸宜学」、

    R4年3月7日(月)に今年度の第3講を開催しました。

    今回は、日田市文化財保護課 課長 吉田博嗣さんを講師に招き、

    「海もないのになぜ「港町」~通船の歴史と地名の由来~」

    と題して講演していただきました。



    日田市港町は「角川日本地名大辞典44」によると、

    「江戸期は蔵所が置かれ、年貢の積出港のあった場所で・・・」と説明があります。

    でも実際は・・・

    文政9(1826)年、豆田町に「中城河岸」が設置され、

    年貢米輸送の舟運輸送に利用されました。

    (「河岸(かし)」:かわぎし。特に、舟から人や荷物をあげおろしするかわぎし。)

    この「中城河岸」、淡窓先生の漢詩では「港」と表記されており、

    その場所が現在の港町に位置します・・・と思っていたら、

    江戸時代からの絵図で確認してみると、

    なんと「中城河岸」は港町からは城内川の対岸、現在の中城町に!

    「昔の字名にもない港が地名になったのは、

    にぎわった地域を誇りとして語り継いでいたからではないか」

    とのことでした。

     

     

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