地域の方による平和学習~大明小学校6年生
1月21日(木)
大明小学校にて、大鶴地区の本河孝義さん(92歳)による平和学習が行われました。
小学校から、地域の方で「戦争体験」のお話ができる人がいないか大鶴公民館に相談があり
今回の本河さんの平和学習が実現しました。
本河さんは、最後は校長先生で長い教員人生を終えられてから
30数年ぶりに子どもたちの前でのお話となりました。
なぜ、日本が、世界が長い歴史の中で繰り返し戦争を行うようになってきたのか
1280年ごろ(日本の鎌倉時代)のお話から始まり、太平洋戦争までの歴史をお話してくれました。
そして、本題の本河さんの戦争体験
当時16~17歳の本河さんは学校の教員になるため
大分県の高崎山の近くの学校に通っていたそうですが
修理した戦闘機をトラックで運ぶ仕事をされていました。
16歳なので免許があるわけでもないのですが、運転もされていたそうです。
お話の中では
聞いている子ども達(6年生)が今年修学旅行で行った「宇佐市の掩体壕」のお話や
運搬中にもトラックを戦闘機に狙われ、命からがら道路わきのどぶの中に逃げ込んだ話。
戦闘機から撃たれる焼夷弾にはゴムみたいなものが仕込まれており
服にベッタリとつき燃えるので、防空壕の横には水が置かれていたこと。
特別攻撃隊で出ていく仲間を見送った話。
そして、仲間が亡くなられた話では、ここには書きませんが
耳を塞いでしまうような悲惨な状況まで詳しく話してくれました。
そして戦争が終わるころ、
本河さんは上官より
「君たちは教員になるなら新しい日本を作りなさい」と言われたそうです。
本河さん曰く、上官は処分を受けてもおかしくない言葉だったそうです。
その言葉を託された本河さんが、今もその言葉を忘れずに、
こうして教壇に立たれる姿に、子ども達も真剣に耳を傾けることができました。
子ども達は
教科書に載っていない話を聞くことが出来き、
また命を失ってもおかしくない悲惨な状況に驚いていました。
最後に「何があっても戦争はしてはいけない」と子ども達に伝えて終わりました。
戦争を体験された方から直接話を聞くことは難しくなっており
この場にいた、子ども達だけでなく先生や私も貴重な経験が出来ました。
本河さんありがとうございました。