人生は、炭坑節だよ!
2017-12-14
12月14日(木)
年の瀬が近づいてきたこの日、光岡老人大学第5講を開催しました。
今回の老人大学は、田川市から原田巌先生をお招きして、「炭鉱夫の生き様と炭鉱節~正調・炭坑節を歌う!」と題して講演していただきました。
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半被に地下足袋姿と、熱のこもったスタイルで講演しました!
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原田さんは、日ごろは田川市石炭・歴史博物館で炭坑節の語り部をしている!
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定年後、生死をさまよう大けがをしたことがきっかけになり、炭鉱夫の生きざまと炭坑節をもっともっと広めたいと立ち上がったそうだ。
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政調・炭坑節の他にも炭坑節に関連した歌を紹介してくれました。
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皆さんは、炭坑節はどこの炭鉱を歌った歌かご存知ですか?
炭坑節の歌詞といえば「月が出た出た 月が出た 〇〇炭坑の上に出た」というものですね。
全国で歌われるようになる時に、それぞれの炭坑の地名に替えて歌ったそうです。
しかし、この歌、公式にこの炭坑は田川の三井炭坑として決着しているとのことです。
なぜそんなことになったのかというと、歌手・三橋美智也氏が昭和31年に歌い280万枚ものレコードを売り上げ、炭坑節が日本中に広がるきっかけを作った時の歌詞は、「三池炭坑の上に出た」だったそうです。三池炭坑は正式名称は「三井三池炭坑」で大牟田市にあったもの、一方「三井炭坑」は田川市にあったものだそうです。どちらも三井さんの炭坑ですが、レコードにする時には「三池炭坑の上に…」と歌った方が、歌いやすかったのでしょうか? 真偽はわかりませんが、ひとつの歌を巡っていろんなドラマがあるものなんですね。
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